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MPCプレイヤーと名乗るまで・第二章

第一章はこちら

日本初のMPCの大会、GOLDFINGER’S KITCHEN(ゴールドフィンガーズキッチン)。初めて開催されたのは2008年。
MCでありビートメイカーでもあったタクザコドナ氏が企画し、それをAKAI Professionalに持ち込んでメーカー協賛も取り付けた本格的なMPCバトルイベントだった。

二人のビートメイカーが何も音が入ってない空っぽのMPCを持ってステージに上がる。その場で渡されたレコードをその場でサンプリングして15分以内に曲を作る。そして出来たてのビートを鳴らし、どちらの曲が良かったかを審査員 & オーディエンスの歓声で決める。

考えただけで嫌な汗が出る大会だ。大会の存在は知っていたものの、自分にはとても出来ないしあまり興味も無かったので2008年の時は気付いたら終わっていた。ちなみに初代チャンピオンはHIFANAのKEIZO MASCHINEさんだったと思う。

誘われた時も特別ワクワクするでもなく遊びにいった。そりゃみんなすごいんだろうな、ぐらいの。とりあえずバイトがない日は暇なのだ。

そんなノリで到着した俺の興味を引いたのは、2009年から追加されたルールの違う新しい部門だった。
先述の即興曲作りはビートクッキング部門とされ、パフォーマンス重視のビートクロス部門が登場したのだ。
ビートクロスは予め作り込んできた音を仕込んだMPCを持ち込み、それを駆使してステージ上で一対一でパフォーマンスし合って競う。MCバトルようなターン制で、10秒、20秒、40秒の計3ターン交互にパフォーマンスしていく。分かりやすく面白そうだった。

この二つの種目で大会は進む。ステージのやや後ろでビートクッキング部門で制作タイムに入ると、ビートクロス部門の2名がステージに登場。制作タイムの15分間を埋めるようにビートクロスが2試合ずつ行われていく要領だ。

ビートクッキングはやはり難しそうで、当たるレコードによっては何をすればいいのか分からない状況になりそうだった。ドラムなども全てそこから集めなければならない。

このルールで抜群の存在感を放っていたのは、既にPSGとして活躍し若くしてその才能を爆発させていたPUNPEEさんだ。

彼はサンプリングした音を極めて短くループしてただの電子音(もはや”ビーー!”というノイズ)になった音に音階をつけて、マイケルジャクソンなどを奏でるという、遥か斜め上をいく発想で瞬く間に勝ち進んでいった。そして決勝近くでは一体何をしてくるかと思っていたら、ストレートに超絶カッコいいビートを作って優勝をかっさらっていった。MCバトルでは異端な存在として知られていたが、楽曲に関してはこの頃からぶっ飛びとキャッチーさを兼ね備えた、言うなれば選ばれし者感が全身から滲み出てる人だった。

そんな離れ業を見せられた事もあって、こんな芸当は自分にはとても無理だと感じた。

一方ビートクロス部門。こちらはパフォーマンス重視。

それぞれ思い思いの音でMPCをぶっ叩いていく。2009年は正統派のフィンガードラムスタイルの人が多かった。
ステージで凄腕のプレイヤーがバシバシと叩き合う戦いを見ながら最初はただ圧倒された。JURASSIC5のDJ Nu-Markがライブで凄まじい手捌きでパッド演奏する様は映像で見た事があったが、生で見たのは初めてだった。
自分でもビートを作る時にそれっぽく遊ぶ事はあれど人に見せられるような物じゃない。自分には出来ないと思ってただただ「すげぇ」と口に出して感動していた。

しかし一回戦が全て終わった頃に、みんながどうやって演奏しているかなんとなく分かり始めた。
二小節ぐらいのある程度曲になっているループをパッドに仕込み、それを叩いて自力でループしつつドラム演奏を付け足す、という手法の人が多い事に気が付いた。

「なるほど、そうなってるんだ。ていうか、それで良かったんだ」

そう思うと同時になんだかワクワクしてきた。
その気持ちはやがてとある考えを頭の中にぶちまけ始める。

「アレなら俺でも出来るんじゃないか」

根拠は無いが見ててそう思った。
その時点では、MPCで生演奏と言えばキックとスネアを両手で交互にペコペコ叩いて遊ぶ程度しか出来なかった。様々な音を鳴らしてしっかり楽曲を演奏するのにどうしたらいいか分からなかった。

でもあのやり方なら、練習すればそれなりに形になった演奏が出来そうだ。

そこからは大会そっちのけでプレイヤー達の手の動きをひたすら目で追って必死に方法論を盗んだ。これを逃したらまたいつ見られるか分かったものではない。DVD発売を待ってなんかいられない。

ビートクロスで優勝したのはミーターズのU☆SEIさん。

みんなカッコ良かったが、見ていて1番心を掴まれたのは、この年の準優勝者にして既にKREVAさんのバックDJとして名を知らしめていた熊井吾郎パイセンだった。

自分もあんな風にやりたい。いや、寧ろ自分だったらこんなネタも使って…などと思いを馳せていた。

ビートメイカーとしてもまだまだ。DJとしてもとても一番にはなれそうにない。
でもMPC演奏なら、少しは目立つ事が出来るんじゃないか。

大会の顛末を見届けてから速攻でチャリに跨って全速力で走った。井の頭通りの坂を立ち漕ぎで疾走しながら、さっき見た手の動きを忘れないように何度も何度も頭に描き直す。早く、早く試したい。チャリを駐輪場にぶん投げるように置いて、勢いそのままに部屋に駆け込んだ。上着も脱がず息切れしたまま常に電源を入れっぱなしのMPC2000XLの前に座る。

地平線の向こうにあるっぽいゴールらしき何か。その少し手前に、まだ遠いけど必死こいて走れば辿り着けそうな目印を見つけた。

突破口はコレだ。

to be continued

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