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MPCプレイヤーと名乗るまで・最終章

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終わった。

演奏の興奮が冷めていないのか、気持ちいいぐらい完敗だったからなのか、そんなに嫌な気分では無かった。
少なくともバトル前のモヤモヤはどっかに行ってる。

対戦が終わった直後にMPCを抱えたまま熊井さんに「ありがとうございました!」なんて握手を求めるスポーマンシップっぷりを発揮したぐらい納得の敗北。

戦う前はネームバリューを言い訳にしていた節もあった。仲間達も「名前のせいもあるよ」と慰めてくれた。
でも実際に戦った後はもうそんな次元の話じゃないと思っていた。
問題は全然そこじゃない。手捌きや派手さばかりに囚われて、いい音を聴かせる気が無かった。
適当にアナログからサンプリングした音をろくな加工もせずそのまま使って、どういうリズムやドラム音がカッコいいかも考えずただただ叩いていただけ。

あの人はきっといい音を沢山聴いて、カッコいいものを沢山知っていたのだろう。というか俺以外みんなそうなんだろう。

ビートクロスが終了すると、即座にビートクッキングの最終バトルも行われた。
予選を通過したのはまだ16歳の少年だ。
後に日本語ラップシーンの重要人物となるfebbくんである。幼さは残るもののビートが放つ異彩っぷりはこの時ほぼ完成していた。

やっぱり類稀な能力を持つ者だけが先へ行く。というかそうあるべきだ。

全ての試合が終わって、クローズDJも終わって音も止まる。
照明が点いて再び明るくこじんまりとしたメインフロアが露わになった。
その中を最後までフロアを満員にしていた客達がぞろぞろと帰っていく。

出場者や客として来ていたラッパー、ビートメイカー達がみんな談笑して過ごしている。
熊井さんはいつの間にか居なくなってた。

遊びに来ていたダースレイダーさんが「デモビートCDめちゃめちゃもらったよ」と話している。

(ああ…そういうの持ってくるんだったな。)

遊びに来ていた仲間達や先輩達に別れを告げ、それぞれ別の戦いを繰り広げたSTUTSとお疲れを言い合い、戦友のMPCを背負って一人ブエノスを後にする。
すっかり暗くなった外に出て、近くに停めてあった自分の自転車に跨った。

その途端、急にその場から逃げたくなる衝動に駆られて全力疾走した。

負けた悔しさよりも「何も分かっちゃいなかった」事への恥ずかしさで泣きそうな気分になっていた。

何が予選突破確実の無敵のルーティンだ。

なんだあの雑な音は?なんだあの浅いアイディアは?
だせぇ。本当にだせぇ。
運良く勝った所で状況など変わるものか。ヒーローになどなれるものか。

あんな物しか出来ない内はいつまでも…

挙げ句の果てに大会中はイジけて誰とも話さず、デモCDを配るという基本的な事さえ忘れてる始末。
一体今日は何しに行ったんだ。戦う事に全てを懸けるのも結構だがそれ以前にやる事が山程あるだろうが。

去年はワクワクが止まらない気持ちで全力疾走した井の頭通りを駆け抜ける。
そして山手通りの交差点を越えた下り坂で突然タイヤが何かを踏んづけて、それはそれは盛大に単独転倒した。

何が起こったか分からないまましばらく路上にうつ伏せになっていた。やがて嘘みたいに惨めな状況を理解して、

「だぁああぁ!!もう!!!んだよ!!ぁあああ!!!」

今日起きた事すべてがどっかへ消え去って欲しい思いで絶叫した。

地面に叩きつけられたMPCが壊れてないか心配しながら(これでSHIFTキーが故障した)、今度はちょっとだけ泣いた。

いや、正直に言うと顔を手で押さえて割としっかりめっちゃ泣いた。後輪がパンクして倒れてる自転車の横で、24歳の大の男が子供みたいにすすり泣いてる絵面は今思うとすっげぇ面白くいが、今の今まで誰にも話した事がないぐらい恥とどん底の象徴みたいな時間だった。

自転車を引き摺りながら1時間ぐらいかけて帰って来て、リュックから出したMPCをいつもの場所に置いた。
とりあえず煙草一本ゆっくり吸ってからケーブルを繋いで電源を入れる。

「これで負けたら人生の終わり」「出るだけで意味ある大会なんてない」

今朝まではそんな風に考えていた。

しかしどうやら違う。

最初の10秒の演奏で感じた未体験のあの快感。敗北に打ち消されたと思っていたあの化学反応。それは既に脳の大事な部分に二度と消えない形で刻まれていたようだ。

「もう一回あの感じでライブしたい」

開始直前の、ともすれば恐ろしくも感じるあの静寂。
自分のビートで軽く首を振る客達で埋められたフロア。
今の自分には不釣り合いなヒーローの視点をうっかり疑似体験してしまった。二度と解けない呪いに掛かるには十分過ぎる10秒間だった。

あれをもう一度やりたい。やるまでは終われない。

あくる日からまた変わらず作って叩いての反復に戻っていた。今度はバトルするためじゃなく、自分のライブをするために。

それでもまずMPCを叩くのが上手くなりたい思いの方が強くて、MPCで音楽を奏でる事への意識を高めるまでにはここからまだまだ時間が掛かるのだけれども。

出るだけで意味のある大会は存在しない。
でも出る事で人生を左右するぐらいの記憶を刻みつけてくる大会は存在するようだ。

地平線の向こうにあるっぽいゴールらしき何かは、薄らと形が分かるぐらいにはなってて、そこから伸びる無数の道と途中に点在する小さいゴールの数々に関してははっきりと見えていた。

この日から俺はDJと名乗らなくなった。

代わりに「MPCプレイヤーのKO-ney」と口に出すようになっていた。

End

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めっちゃ長いのに最後まで読んでくれてありがとうございました。
この5年後にAKAI公式アーティストになったり、その少し後に何とか音楽で生計を立てたり、戦いは続いていくけども一旦俺のお話は終わり。

俺がMPCパフォーマンスのパイオニアだと思ってる人も少なくないので、その遥か以前から先駆者が居て俺自身もそれを見て始めた事を書き記しておこうと思った次第。
そこから簡単に真似出来ない次元まで押し上げたという自信はあるが、沢山の猛者達に何度も打ちのめされてきた結果今に至る。

成功とは程遠いエピソードの数々ではあったけど、上手くいかなかった人の話の方が面白いと思うので、最後まで楽しめてくれてたらありがたいです。

まだまだ成しえなきゃならない事ばかりなので、変わらず頑張っていきます。
なので変わらずチェックし続けておくれ。

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