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スイスでライブした話①〜GrooveSession 2022 in Switzerland

2022年10/23日。俺は1人スイスへ飛んでデカい会場でライブしてあらゆる国籍の人々をブチ上げる事に成功していた。

何でこんな事になったのか。それは9月の頭に遡る。

きっかけはInstagramでの一本のDM。スイスでGroove Sessionというブレイクダンスバトルを主催するArturなる人物からコンタクトがあった。

「君のパフォーマンスは素晴らしい。是非Groove Sessionで演奏して欲しい」

そんな内容だった。飛行機代と宿泊費、食事代まで出してくれるという。

こいつは行かないという選択肢など存在しない。
俺はMPC演奏を始めて10年、ずっと海外でライブがしたかったのだ。

「お前は海外の方が受ける」「絶対海外でやった方がいい」
ずっとそう言われ続けたものの、きっかけも行く金も無い。36年一度も日本を出た事すら無いのだ。

そんな俺にようやく巡ったチャンスではあったが不安要素が一つだけあった。予算の都合上1人で行かなくてはならないという話だった。初めての海外で乗り継ぎまであるスイスへの旅。そもそも英語すらろくに喋れない上に現地の第一言語はフランス語。正直すげぇしんどい。

現地で日本語が分かる人がアテンドしてくれるか聞いたが「大丈夫だ。私も翻訳アプリで君に連絡を取っているがこうしてコミュニケーションが取れている。問題はない」という全く大丈夫じゃない返事が来た

それでも行かないという選択肢など存在しない。
そこまで悩むことなく行く方向で話を進めた。

友達のダンサーにこのGroove Sessionの事を聞いたら「それめっちゃデカい大会ですよ」との事だった。過去には日本から著名なダンサーが審査員に出張ってたりしたらしい。確かに過去映像の会場を見る限りそれなりの規模だ。不安もあるがワクワクしつつ、人生初のパスポートを取ったり、ダンスバトルで使うビート作ったり、海外経験のある先輩達にアドバイス貰ったりしてたらあっという間に出国の日が迫った。

旅立つ直前、一つ救いがある事がわかった。日本からもう1人ゲストが召喚されていたのだ。10歳のB-Boy WATOくん。

子供なので母親が同伴。2人とも俺と同じく語学はからっきしとの事だったが、とりあえず現地に行けば日本人が居るという状況は精神的にかなり救われた。

前日になって急にフライトスケジュールが変更になるというビビる展開もあったが、22時間越えという長い長い飛行機旅自体にトラブルはなく、割とあっけなく早朝のスイスに到着。空港にはGroove Sessionの関係者が迎えに来てくれた。ここから車で更に1時間程飛ばしてヌーシャテルへ。まずは一番心配していた関門は突破した。


それほど大きくはないけどとにかく綺麗な街だった。イメージ通りのヨーロッパの街並み。ケルト神話が好きな俺にはたまらん土地だ。

ここでようやく主催のArturと合流。異常なテンションで迎えてくれたのは嬉しかった。

初日は出番が無く、運営の方々や出場するダンサー達との交流を兼ねたランチや夕食で1日終わった。というか一日中何か喰ってる。WATOくんは練習しに行くと行ってその日はほぼ別行動を取った。

一方俺は喋れないなりに翻訳アプリと片言の英語で片っ端から話しかけて名刺とお土産のどんぐりガムを配っていた。思うに、日本人が居る前で拙い英語を話すのはかなり恥ずかしいが、日本人が居ない中では全く気にせずとにかくコミュケーションを取るに気になった。

反応は人によってそれはもう様々で。「インスタ見たよ!すげぇじゃん!」という感じで親切に話してくれる人もいれば、フランス語はおろか英語も喋れずダンサーでも無いアジア人の俺を小馬鹿にしてくる人も半分以上居た。翻訳の仕方がおかしいのか、俺を指差して仲間とゲラゲラ笑う奴、あからさまに不機嫌な顔をする奴、ほぼ無視してくれる奴。悔しいがまぁ仕方ない。向こうからすれば具体的に何するのか分からん日本人のおっさんなのだ。ただ俺は一度もそんな風に外国人を馬鹿にした事はないしこれからもしないと言い切れるけどな!

身も心も疲れ切って初日は終わった。
ホテルでタバコが吸える部屋だったのが何よりの救い。
一服しながら考えていた事は一つ。
明日のサウンドチェックで全員ビビらせてやる。

to be continued⇨

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