前回までのお話はこちら👇
スイスでライブした話①
スイスでライブした話②
事前に聞いてない事の連発で勢いに任せるように始まったオープニングアクト。
しかし始まってしまえば後はこっちのペース。
目の前の人達が大いに盛り上がってる事が全てで、本当にそれ以外どうでもよくなる状態でライブするのは久々だった。
それ以外に考えている事があるとすればただ一つ。
「後ろの人達に向けて何かやりてえ」
リリパの時みたいに一回転してやるか?いや、配線のタイトさ見ると大惨事になりそう。
でもなぁ…よし!90度だけ回ろう!(動画4:43辺り参照)
その場の思い付きでやったのでまんまとその瞬間のリズムは乱れた。それでなくても気持ちが前に前に前につんのめっていて、振り返ると演奏の完成度的には70点ぐらいの感じだ。
ここ何年かは派手にやる事よりも曲を聴かせる=手捌きだけじゃない事に重きを置いてグルーヴを大事にするライブを心がけてきた。
でもあの時に必要だったのはスキル以上に気合いだと思った。忘れられない3分にする事に全てを賭けていた。
そんな一生やっていたい気持ちでいっぱいの3分間は一瞬で過ぎ去った。
終わった途端に歓声が降ってくる。
あらゆる国籍の人達を沸かせるのは良い気分。
お前は海外の方が受けると言われ、自分でもそうだろうと漠然と思っていた事が今実証された。
やってきた事はどうやら間違ってなかったらしい。
そう噛み締めて俺はステージを後にした。
俺がスイスに来た理由の半分はこれにて完了した。
その後はひたすらに、DJと交互にダンスバトルのビートを演奏した。
が、モニタースピーカーをすげぇ変な向きされていたお陰でこの日はあまり音が聴こえない状態でやっていた。一度始まるとスタッフを呼ぶ事もままならないがそこは力業で押し切った。体育館の天井から降ってくる音は暴れるように反響するので、正直初日はパワー全開とはいかなかったが(翌日はしつこく希望したので解決した)生演奏らしくBPMをだんだん変えたりとか、なるべく「MPCだから出来る事」をアピールしつつ俺の思う理想のバトル現場を作ろうと意識した。
さすが各国から集まったら選りすぐりの猛者達。
ダンスに関しては素人同然の俺からしても一撃で凄まじさが分かる連中ばかり。
形式としてはバトルだったがエンターテイメントとして魅せる事を心得てるダンサーが多かった。世界でかますのに必要な事はアレだ。そのジャンルに詳しくなくても技の凄さを分からせて楽しませる事。そのメンタリティみたいなのは改めて勉強になった。
そんなSSSクラスのダンサーが、自分のビートに乗せて思い思いのパフォーマンスを繰り出す。何とも贅沢で楽しい時間だ。
俺と同じく日本から招かれた少年、WATOくんもぶっかます。10歳で世界で勝負とは。ゲーセンで命を懸けていた10歳の俺を4時間説教したい。
ブレイキンバトルを意識したビートアルバムで、「これは決勝とかで掛かったらいいなぁ」などと妄想しながら作ったB-boy Meets B-girlを、実際にここぞって場面で演奏出来たのが嬉しかった。決勝あるあるでビートが始まっても誰も先行していかないという現象に逢い、1分ぐらい言いようのない不安に包まれたのは惜しかったが。
ぶっちゃけ勝者の基準はよく分からんが、ともかくMPCプレイヤーを名乗ってから最も長い1日は終わった。
やってみて思ったのは、MPCの存在はスイスでもまだまだ浸透してなかった事。
ドイツやロンドンはシンセサイザーを始めとする機材ライブの聖地だが、ここスイスでは少なくともダンス現場の人間達に知られるほど浸透してる訳では無いようだ。
終わったあと色々な人に話し掛けられたが、MPCを知ってる人はごく少数だった。「あのマシンはなんだ?」と聞かれまくった感じ。
俺がやらなきゃならない事はまだまだありそうだと考えながら、荷物を纏めてホテルへ帰還…する事なくみんなでそのまま歩いて町のクラブへ一直線。
夜通し行われるアフターパーティーにてもう一発ライブするというタフな予定が控えているのだ。
to be continued⇨