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スイスでライブした話・完 〜GrooveSession 2022 in Switzerland

前回までのお話はこちら👇
スイスでライブした話①
スイスでライブした話②
スイスでライブした話③
スイスでライブした話④

本番まで後2時間ちょっと。この間に新たな曲を5つか6つほど仕込む必要が出てきた。

俺はその食堂でMPCを起動してSDカード内を漁った。一から作っていたのでは間に合わないので元々ライブでやっていた曲をアレンジし直す。既にバランスの取れているドラムキットを流用しながら、言わば自分の曲をサンプリングするような感覚で。スローなバラードをブレイクビーツに生まれ変わらせたりもしてこれはこれで発見もあった。かつて配信でやっていた即興ビートメイク遊びで鍛えた筋肉がこんな場面で役立つとは。芸が身を助けた事は一度や二度じゃないがこの時ほどそれを実感した事はない。
しかいそれでも数が足りない気がして、空気によっては合わない可能性を考えて前日使った曲も使う方向にした。
そうこうしてる間に出番の時間は迫りスタッフが食堂に俺を呼びに来る。その頃には即席で作ったビートが出揃ってなんとか乗り切る手札はMPCに読み込まれていた。

このラフな運営が与えていた影響はもちろん俺だけはなく。WATOくんから聞いた所によると、2vs2は当然協力戦な訳だが当日決まった組み合わせで行うとの事。つまり初めましての言葉が通じない相手と共に戦う事になる。にも関わらず誰とタッグになるか直前まで分からなかったそうだ。コミュニケーションが重要な2vs2でそれはキツいだろ。一事が万事コレだぜ海外!!
そんな状況にお母さんはヤキモキしていたが、当の本人は飄々と間違いないムーブをぶっかましていた。この10歳男子のポテンシャルは本当に計り知れない。

一方で俺は急な対応を要求されたものの、前日の経験が活きて「ダンスバトルでの演奏」というものに覚醒しつつあった。ブレイクするタイミングや曲の切り替え方、2日目の方がぶっちぎりで上手く行った気がする。

この日の決勝はDJ Viranteが担当し、決勝前に挟まるブレイクサイファーで俺の役割は終わる。

文字通り20分の休憩の中でダンサー達が自由に踊る時間。ここではゆったりなテンポでみんなが思い思いの振りが出来るように演奏する。言うなればフリーセッション。こういうのは得意。常にヒリつく緊張感との戦いを楽しんだ2日間だったから、このゆっくりした時間がスイスでの締めというのもちょうど良かった。しっかり思い出を噛み締めながら演奏出来て楽しかった。

それが終わるとすぐさま決勝が始まる。
俺は全ての役割を終えて感慨浸りながら観戦!という訳でもなく、正直まだまだぶっ叩き足りない気持ちでいっぱいだった。

演奏ずくめの丸2日間でようやく「日本じゃない場所でプレイする醍醐味とコツ」を完全に掴んだ感じ。そこまで圧倒的に差があるとは思わなかったけど「もっとこんな風にやっちゃっていいんだ」みたいな微妙なニュアンスが分かったような。まぁ最初から最後まで存分に楽しんだしブチかましたけども。一ヵ月居たとしても「あと1日くれたらもっと…」とか言ってるんだろうし。

こうしてスイスでのライブは全て終わった。
終わった後は色んな人達に声掛けられて、とにかく「こんなすげぇのが観られるとは思わなかった!」的な事を口々に言ってくれた。嬉しい。きっと翻訳アプリが無しでダイレクトに言葉が入ってくればもっと嬉しいのだろう。英語はまだしもフランス語を覚える事はこの先無さそうだが。

夜はホテルの外でダンサーのみんなとダラダラ過ごして、1人1人挨拶しながら俺は部屋に帰る。まだ23:00なのにバッテリー切れを起こしたみたいに爆睡した。

翌朝、真っ暗な内に俺とWATOくん親子、あらゆる国籍の5人のダンサーはワゴンに乗り込んで空港に向かった。来た時と同じく、雨に濡れた田園風景だけが永遠と続く景色を眺めながら車に揺られる。またここから22時間掛けて日本に帰ると思うと少々うんざりだが、行きの時とは違う、何か新しい事を始めた子供みたいにワクワクした気持ちが大きくなっていたから悪い気分じゃなかった。

ビートメイカー歴18年、MPC演奏歴11年。

まだまだやるべき事とやりたい事が山積みである事実を確認して心底ワクワクしてる。

ぼんやりと「海外でやりたいなー」から「次は自腹でもまた違う国に乗り込むぞ」というマインドになっていた。

ありがとうスイス。俺のキャリアで間違いなく重要な経験となった事は間違いない。ありがとう。

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